7月7日は「七夕」だけじゃない!「そうめんの日」でもある理由は?
7月7日は全国的に「そうめんの日」となっています!
七夕にそうめんなんて一見関係なさそうに思えますね。
ところが千年も前の昔から、七夕とそうめんは関係があるのです。
こう書くと、だいたい千年も前からそうめんがあったのかという疑問が生まれます。
七夕との関係、そうめんの歴史をひも解いていきます。
七夕とそうめんは関係あるの?
七夕は年間の五節句の一つで、昔も今もよく知られた行事です。
笹に願い事を書いた短冊を吊るしたり、天の川を挟んだ牽牛と織女の物語はよく知られています。
五節句は中国古来の陰陽五行説から来ている暦の行事で、日本でも昔から定着しています。
因みに五節句とは次の5つです。
・1月7日:七草の節句
・3月3日:桃の節句、ひな祭り
・5月5日:菖蒲の節句
・7月7日:七夕
・9月9日:菊の節句
では、七夕とそうめんはどんな関係があるのでしょう?
よくある話のように、業界が近年に生み出したこじつけではない歴史があります。
そうめんの歴史
そうめんが歴史に顔を出したのが、なんと奈良時代です。
正確にはそうめんの原型、索餅(さくへい)で、やはり中国から伝わってきました。
索餅は当時日本では麦縄(むぎなわ)と呼ばれ、長屋王家の木簡にその記録が出てきます。
長屋王(ながやおう)は天武天皇の時代(西暦700年前後、飛鳥時代末期から奈良時代初期)の皇族です。
索餅は小麦粉を塩水で練って伸ばした麺だったようです。
中国では七夕に索餅を食べて無病息災を願う習慣があり、それが日本に伝わり、日本でも食べるようになったようです。
平安時代の醍醐天皇のころ(西暦900年前後)に書かれた延喜式(えんぎしき)という書物に、七夕の日にそうめんを食べると大病を免れることが書かれています。
このころには宮中で七夕にそうめんを食べることが習慣になっていたのでしょう。
やがてこの習慣が民間にも広まっていったと推測されます。
7月7日がそうめんの日になったのはいつから?
七夕とそうめんの関係はわかりました。
私たちは七夕と関係づけることなく、夏になると冷たいそうめんを食べて楽しんでいましたが、こんな歴史があったとは知りませんでした。
では、七夕の日が「そうめんの日」になったのはいつからで、誰が決めたのでしょう?
こんなに七夕とそうめんの関係が深いのですから、そうめん業界が放っておくはずはありません。
その業界とは全国乾麺協同組合連合会です。
この連合会が昭和57年(1982年)にそうめんを一層広く普及し、食べてもらうよう7月7日を「そうめんの日」と決めたのです。
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さいごに
そうめんが七夕と古(いにしえ)よりこんなに深い関係で結びついていたとは知りませんでした。
この歴史を知ることで、古代の宮中の雅な世界に思いをはせながらそうめんを食べるのもなかなか風流だと思いませんか?