新元号発表者は平成に続いて内閣官房長官に!昭和は誰だったの?
いよいよ平成から次の時代へ移る時期が近づき、新元号は何になるのか様々な予想が立てられています。
新元号の発表者についても話題になりましたが、平成に続いて内閣官房長官になりました。では昭和、さらには大正、明治は元号を誰がどのように発表したのでしょう?
平成以降は元号法に従って内閣が発表
平成と次の新元号発表者は内閣官房長官
元号法ができたのは戦後です。
そこでは規定に基づいて内閣より発表されます。
内閣より発表となっていますが、総理大臣か官房長官かまたは他の大臣かは決められていません。
平成は当時の内閣総理大臣であった竹下首相が発表する案もあったようですが、内閣のスポークスマンであった小渕官房長官から発表されました。
この発表時の映像がとても印象的だったので、その時だけでなく、何かにつけてテレビで放映されています。
小渕さんはその後総理大臣になりましたが、当時は「平成おじさん」のニックネームがついてすっかり有名になったことを憶えている人も多いと思います。
次の新元号は菅官房長官に決まりました。
官房長官からの発表というのが妥当な気がします。
どんな元号になるのか待ち遠しいですね。
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元号法がなかった明治・大正・昭和はどのように?
明治の元号は誰が発表したか?
明治天皇が即位されて同時に「明治」という元号を宣言されました。
その元号を広く世間に発表したのは誰だったか定かではありません。
宮内省ができたのが1869年(明治2年)なので、宮内省からということではなさそうです。
当時は当然ながらラジオ、テレビなどはありません。
横浜毎日新聞が京浜地区で創刊されたのが1870年(明治3年)です。
かわら版は江戸時代からあったので、世に広く伝わったのはかわら版を通してだったかもしれませんね。
明治天皇は元号の宣言と共に、「一世一元の制」を宣言されました。
これは「天皇になったら元号を決めて、次の天皇になるまでは変えない」ということです。
大正の元号は誰が発表したか?
大正の頃になるとすでに明治時代に元号について定められていた旧皇室典範に従います。
明治と同じく新天皇が元号を宣言されました。
発表は宮内省からだったようですが、宮内省の誰かは定かではありません。
宮内省の責任者として宮内卿(長官)とともに宮内大臣もいたので、そのどちらかだったのではと想像されます。
昭和の元号は誰が発表したか?
明治、大正と同じく新天皇が元号を宣言されました。
発表は大正と同じく宮内省からだったのですが、宮内省の誰かは定かではありません。
大正時代と同様、宮内省の責任者として宮内卿(長官)とともに宮内大臣もいたので、そのどちらかだったのではと想像されます。
現在のように内閣からの発表は、戦後に制定された元号法に基づくようになってからです。